『罠シリーズ 第五弾』



チョコレートの罠





これは、賭けだ。
『好き』なんて口に出せない、私の賭け。
気付いてくれますように・・・
祈りを込めて、ラッピングする。
ピンク色の和紙に、赤いリボン。
可愛らしいラッピング。
気付いてくれるかな・・・
ううん、気付かないで欲しい気もする。
私・・・告白する勇気なんてない。



なんでこんな日があるんだろう。
こんなのって、どう考えてもお菓子会社に踊らされてるだけだ。
っていうか、まずチョコレートをあげるなんておかしいじゃない。
何が一年に一度、女の子から告白できる日よ。
告白したい人は、年から年中したい時にしてるわよ。
大体、起源ってものを知っている人間が、この日本中に一体どれくらいいるんだろう。
こんなのキリスト教の祝日じゃない。
私の家は代々真言宗なのよ。
ピンクと茶色の洪水のようなデパートの地下。
若い女の子達が、嬉しそうな顔をしてチョコを選んでる。
馬鹿じゃないの。
っていうか、こんなところで立ち往生してる私が一番馬鹿じゃない。
似合わないにも程があるよ。
やっぱダメだ。
こんなの買えない。
私には似合わない。
ううん、私じゃなくて・・・私たちの間には、こんなもの似合うわけがない。
仲のいいグループの友達。
私たちの関係はそれだけ。
そりゃ、仲はいいかもしれないけど・・・2人っきりで話したことなんて、
この一年近くで数回しかない。
ダメ・・・やっぱ、ダメだよ。
こんなの渡せるわけが無い。
私は、逃げるようにしてチョコレート売り場を足早に去る。
もう一ヶ月近くも同じよう行動を繰り返していた。
もうすぐバレンタインデー・・・好きな人に好きといえる日。



放課後、人も少なくなった美術室で、私は一人絵を描いていた。
窓から見えるグラウンドには、まだ運動部の生徒が残っている。
冬だから、もうすぐ夕日も沈んでしまうだろう。
私はこの時間が一番好きだった。
この時間というか、夕方のオレンジ色に染まる校舎が好き。
外から聴こえる、運動部の人たちの声。
それとは対照的に、静かな美術室。
私一人を取り残して、ゆっくりと時間が過ぎていくような
悲しいのか寂しいのか判らない、少し切ない気分がする。
窓から見える景色の端には、大きな体育館が見えた。
そこからすぐ側にある水飲み場に向かう集団が見える。
その中で、ひと際大きな影。
もう終わったんだ。
遠くから見ても、すぐにわかる。
あれが私の好きな人。
バレー部はもう終わったんだね。
深いため息をついて、筆をおいた。
いつもこうやって遠くから眺めてる。
彼が部活を終わるのを見てる。
遠くて、声もまともに聞こえないけれど・・・
「桃香ーいる?」
静寂は、突然の闖入者によって破られた。
「美鈴・・・」
すらりとした長身、真っ直ぐな黒い髪を腰まで伸ばした和風美人。
高校に入って仲良くなった雨宮美鈴は、私が羨ましいと思うような女の子だ。
綺麗でかっこよくて、いつでも何でも出来る美鈴。
ハキハキとしゃべる美鈴と、何故仲良くなれたんだろう?
いつも不思議に思うけど、私と美鈴は気があった。
同じ年だけど、お姉ちゃんってこんな感じかなって思ってしまう。
「やっぱりまだ残ってたんだ。一緒に帰ろうよ」
「うん、美鈴は委員会だったの?」
私は着ていたエプロンを脱ぎながら、美鈴に問いかける。
エプロンをしていたのは、油絵を描いていたから。
油絵の絵の具は油性だから、制服についたら落ちなくなる。
だから、エプロンは油絵を描く時の必須アイテムなのだ。
「そう、来年度の引継ぎとかって色々あってさぁ。放送委員なんて来年もやらないつーのに」
ぼやく美鈴を尻目に、油絵の具をしまう。
テレピン油のキャップがきちんとしまっているのを確認して、画材バッグにしまった。
「来年こそは、図書委員になるのよ!」
拳を振り上げて宣言する美鈴に、つい笑みがこぼれてしまう。
「それって、加賀見先輩がいるから?」
「勿論よー!来年こそは同じ委員になるんだから」
加賀見先輩というのは、一学年上のカッコイイ先輩。
美鈴の憧れの人だ。
「加賀見先輩、彼女いるのに」
「ウッ・・・そ、それは言わないで・・・
私だって、加賀見先輩と真部先輩の仲の良さくらい知ってるわよ。
けどねー加賀見先輩やっぱりカッコイイんだもん。側で見るくらい許されるでしょ!」
加賀見先輩の外見は、美鈴の理想らしい。
半年も前に失恋したはずなのに、美鈴の加賀見先輩崇拝は変わらない。
「そんなこと言ってると、また広瀬君が拗ねるちゃうよ?」
「だ、大ちゃんは関係ないの!」
真っ赤になって照れる美鈴は、いつもより可愛らしい。
幼なじみの広瀬君と美鈴。
美鈴が加賀見先輩に失恋してから、広瀬君は美鈴に猛アタックを試みている。
それはもう、はたから見ていて恥ずかしい程だ。
美鈴だってまんざらでもないくせに。
2人はとても微笑ましいカップルだ。
実際のところは、ちゃんと付き合っているわけではないらしい。
時間の問題にも見えるけど・・・
美鈴が身長にこだわっているからかなぁ。
けど、広瀬君だって小柄ではあるけどチビってわけじゃない。
美鈴が長身だから、そういうのって気になるのかな。
そういえば・・・広瀬君が、この間二センチ伸びたって喜んでたっけ。
「関係ないって・・・広瀬君かわいそう」
わざとらしくため息をついて笑う。
美鈴はそんな私を見て、真っ赤な顔をして頬を膨らませた。
ふふ、この話題じゃなきゃ、美鈴のこんな顔見れないね。
「もぅ!そういう桃香はどうなの、人の事言ってられないでしょ!」
「わ、私のことはいいのっ」
「ふ〜ん、その様子じゃぁまだチョコ買ってないでしょ?もう一週間ないよ?」
たじろいだ私に、形勢逆転とみたのか、美鈴はニヤリと笑った。
「あ〜あ、これじゃあ、いつまで経っても仲良し4人組は解散できないねぇ」
ニヤニヤとからかうように言われて、ぐうの音もでない。
『仲良し4人組』・・・いつも美鈴はそういってからかう。
っていうか、美鈴だって同じ立場のようなものじゃない。
私と美鈴、そして美鈴の幼なじみの広瀬大地君と、
大地君の中学時代からの友人の朝倉悠斗君。
私達四人は、高校に入ってから一緒に遊ぶようになった。
とは言っても、美鈴と広瀬君、朝倉君の三人は
中学の頃から一緒に行動する事が多かったらしい。
高校になって仲間に入ったのは、私一人だ。
最初の頃はそれで疎外感なんかも感じたりしたけど・・・一年近く経った今では
そんなこと全然気にならないくらい仲良くなっていた。
ちなみに、その中の一人。朝倉悠斗君が私の好きな人。
特にね、どこが好きっていうのはわからない。
ただ・・・彼を見ているだけで幸せな気分になれる。
一緒に遊ぶ時、美鈴と広瀬君が2人で盛り上がっていたりすると
さりげなく気を使ってくれるところとか、結構好きだ。
最初はね、気の利く人だなとかって思ってただけだった。
何度か遊ぶようになって、優しい人だなって思った。
そしたら・・・目が離せなくなってた。
いつの間にか、彼の姿を目で追ってしまう。
これが恋かなんて、美鈴に指摘されるまでわからなかったくらいだ。
「お〜おう、今日もよく見えること」
美鈴は、窓の側に立って外を見ている。
何が見える・・・なんて言われなくてもわかってる。
美鈴の視線の先には、きっと私がさっきまで見ていた水飲み場があるんだ。
そして、そこにいるバレー部員達の中に、朝倉君の姿を見つけてる。
「悠斗も頑張るよねぇ」
「今度、レギュラー入りしたみたいだから・・・」
「ふ〜ん、よく知ってますこと」
「皆で居る時に言ってたよ、美鈴が人の話を聞いてないだけっ!」
慌てて訂正したところで、何の効果もないのはわかっているのに・・・
ついつい、反論してしまう。
ああ、なんか私って美鈴に遊ばれてない?
「モデル、頼めばいいのに」
「そんな事出来ないよ」
最近の私は、何枚も何枚も、似たような絵を描いている。
緑の中、校舎の片隅、立ちすくむひょろ長い影。
後姿の男の子は、決してこちらを向いてはくれない。
誰がモデルかなんて、美鈴には言わないでも判っているようだ。
でもね・・・モデルなんて頼めない。
恥ずかしいよ。
それに・・・これはきっと、今の私と朝倉君の距離だ。
いくら仲良くしていたって、一緒に遊んでいたって・・・私たちの距離はこんなもの。
美鈴と広瀬君がいるから、私たちは一緒にいる。
だって、2人っきりで話してことなんて殆どない。
一年近く一緒にいても、どれだけお互いのことを知っていても・・・
他の2人がいるから、私たちの仲は持っているんだ。
美鈴と広瀬君はお似合いだと思う。
いつも仲が良くて、付き合ってないなんて嘘のよう。
広瀬君が美鈴を大切にしてるのなんて、見ていてすぐにわかる。
美鈴も広瀬君を特別な存在だと思ってる。
2人には上手くいって欲しい、そう思う反面、このままでいて欲しいとも願ってしまう。
だって、2人が付き合うようになったら・・・恋人同士の邪魔は出来ないでしょ?
今までみたいに、4人で遊びにいくのは少なくなる。
私と朝倉君だけでは、遊びに行くなんてきっとしない。
だから、今のままでいて欲しかった。
私の自分勝手な欲望。
親友の幸せを望んでいるとみせかけて、本心ではこのままでいて欲しいと願ってる。
私って、なんて利己的な人間なんだろう。
こんな自分は嫌い、うじうじしていて、いい加減嫌気が差す。
「チョコ、一緒に買いに行く?」
長身の美鈴は、屈み込んで私の顔を見た。
「ううん、いい。大丈夫」
だって・・・一緒に買いに行ったら、美鈴は広瀬君用のチョコ買うでしょ?
それで2人が上手くいったら・・・
ああ、私って本当に嫌な人間だ。
深くため息をつく。
こんな私の内面なんて、美鈴には知って欲しくない。
恋をしたら優しくなる、なんて誰が言ったんだろう?
私・・・恋をしたら醜くなったよ。



「宇佐美〜?何してんの?」
声変わりもまだっぽい、高い少年の声に呼び止められた。
「すっげー花の量」
ぱたぱたと羽根が生えたように軽い足取りで近づいてきたのは、広瀬大地君。
お人形のような容姿に、柔らかそうな癖のある髪。
広瀬君の容姿は、いいな〜っていつも思う。
だってね、同じくせっ毛でも、私の髪は硬くて真っ黒でごわごわ。
伸ばそうものなら、あちこちに跳ねてみっともない。
美容院では縮毛矯正ってのがあるからしたいな〜って思うけど
高くてなかなか踏み切れない。
同じくせっ毛でも、広瀬君みたいな柔らかそうな明るい髪だったら良かったのに。
広瀬君の髪の毛は、陽に透けるとキラキラと金色に輝く。
「モチーフにしようと思って、園芸部から貰ってきたのよ」
私の両手には、大量の菜の花があった。
「へ〜うちの学校、園芸部なんてあったんだ」
「お前な・・・園芸部がなかったら、あの大量の花壇の花は誰が世話してるんだよ」
低い声にびくりと体が震える。
ああ、でも、悟られちゃダメ。
「あ、朝倉君もいたんだ」
走ってきた広瀬君を追いかけてきたのか、朝倉君も少し息を切らしていた。
朝倉君と広瀬君は、本当に対照的な2人だ。
小柄で色素の薄い可愛い容姿の広瀬君に対して、朝倉君は
ずば抜けるほどの長身に、真っ黒な直毛。
声だって、高めの広瀬君に比べて、朝倉君はとても低い響く声だ。
「そうそう、宇佐美。今度の土曜あいてる?」
大きな瞳を嬉しそうに輝かせて、私を見る広瀬君。
そりゃ、勿論空いてはいるんだけどね。
これで『空いてない』って言ったら、どんな顔するんだろう?
落胆する広瀬君の姿が、容易に想像できておかしかった。
「空いてるよ」
「じゃあさ、今度ビリヤードしにいこうぜ!」
「ビリヤード?」
そんなのやったこと無い。
「最近、亜依ちゃんの・・・あ、っと・・・姉ちゃんの彼氏に教えてもらってんだ〜。
すっげー面白いからさ!皆で一緒にやろうぜ!」
広瀬君は、まるで新しいおもちゃを手に入れた子供のような顔をしている。
う〜ん・・・ビリヤード・・・それって面白いのかなぁ。
「ってーか、それ無理があるって。初心者だけで出来るもんじゃないだろ」
広瀬君の側で、呆れ顔をして朝倉君がため息をついた。
「やってみなきゃわかんねーじゃん」
「いや、無理だって」
「じゃあ、姉ちゃんの彼氏も呼ぶからさ」
「大学生だろ?そんな人が俺らと遊ぶか?」
「だいじょーぶ。あの人面白い人だから平気」
渋る朝倉君に、広瀬君は強引だった。
私も・・・どちらかというと人見知りをする方だから、知らない人を交えて遊ぶのは遠慮したい。
「あ、そういえば美鈴は?」
「ん?たぶん図書館だと思・・・」
不意打ちだった。
ビリヤードのことを考えていたから、突然訊かれた内容に素直に答えてしまった。
しまった、と思ったときには、ご機嫌だった広瀬君の顔が
みるみるうちに不機嫌なものに代わっていく。
「あいつ、まーだ加賀見先輩を追いかけてるのかっ!」
「あ、でも・・・観賞用だって言ってるし・・・」
「そういう問題じゃなーい!ちくしょー邪魔してやるぅ!」
子供が癇癪を起こしたみたいだった。
言い終わるや否や、広瀬君は図書館の方へ走っていってしまう。
相変わらず落ち着きが無いというか・・・嵐のような人だ。
「お〜早い早い。あいつ、なんで陸上部に入らないんだ?」
走り去った広瀬君をのんびりと眺めて、朝倉君は呟いた。
ふっと私に視線を落とす。
「それ、美術室まで運ぶの?」
「う、うん」
「手伝う」
そういうと、朝倉君の大きな手が私の持っていた菜の花の花束を攫っていった。
私が持つと、両手いっぱいで前すら見えない量の花束でも
朝倉君が持つと、小さな花束みたいになってしまう。
2人っきりだ・・・
「あ、ありがとう」
顔、赤くないかな?
相変わらず気の利く朝倉君の態度は、たまに気恥ずかしい。
照れてしまうんだけど、ちょっと嬉しかったりする。
「ビリヤード、平気?」
「え?ああ、う〜ん・・・けど、広瀬君の様子だと決行でしょ?」
「だろうなぁ、あいつ新しいこと好きだから」
朝倉君は、たれ気味の目を更に下げて顔をしかめた。
「宇佐美さ、人見知りするタイプだろ?大丈夫か?」
「えっ?」
「多分、亜依先輩の彼氏も一緒になるだろうから・・・
なじめなかったら2人で遊ぶかぁ、お互い人見知りするしな」
多分、何気ない一言だったんだと思う。
別に深い意味は無くて、ただ初めて会う人は苦手だってだけ。
人見知りなんてしもしない美鈴や広瀬君と違って、私や朝倉君は
初めての人が苦手だから・・・だから、慣れてる者同士で遊ぼうって、
唯それだけの提案だったんだと思う。
だって、朝倉君は普通だ。
照れてるわけでもなく、考え込んでるわけでもなくて・・・
だから、自然に出た言葉なんだろう。
それは、すっごくわかった。
わかったけど・・・嬉しかった。
そりゃ、一年近くも一緒に遊んでる仲間だし、今更人見知りなんてしない。
気心は知れてる方だとは思う。
でもね、そういう風に言って貰うと、本当に嬉しい。
ああ、私・・・貴方の中で、結構特別な位置にいるんだね。
仲間って思ってもらえてるんだよね。
そう思ったんだ。
やっぱり、好きだなぁ。
何気ない一言が、すっごく嬉しくて、ドキドキする。
今、そばに入れるのが嬉しい。
私・・・やっぱり、朝倉君のことすごく好きだ。



告白をしたら、お互いの関係は変わるんだろうか?
今の私たちは、仲の良い友達。
そりゃ、学校以外でも遊ぶこともあるから、唯のクラスメイトよりは特別だと思う。
一緒にいるのは、すごく心地が良い。
告白したら、私たちの関係は変わる?
付き合いたいって、思わないわけじゃない。
だけど、付き合うってよくわからない。
彼氏彼女になるって、どんなことだろう?
朝倉君が好き。
見ていると幸せな気分になる。
一緒にいると、ドキドキして落ち着かないけど、それがまた心地よかったりする。
彼の仕草や言葉ひとつで、動悸が激しくなって息が詰まる。
そして、嬉しくなる。
今、こうやって近くにいれるのは、友達という距離があるから。
告白したら、この距離は変わる?
うん、多分変わるだろうね。
もしかしたら、付き合えるかもしれない。
恋人という距離に変わるかもしれない。
でも・・・もしかしたら、友達の距離も壊れてしまうかもしれない。
今の距離は、心地良い。
この距離を怖したくないって、思う私がいる。
告白をするべき?
この気持ちを伝えたい。
貴方が好きだと、伝えたい。
けど、怖い。
ねえ、もしも告白したとして、貴方に振られても友達でいてくれますか?
答えが欲しかった。
付き合うとか、付き合わないとかじゃなくて
振られても、友達でいてくれるかどうか。
振られるのが怖いんじゃない、友達じゃ無くなる事が怖い。
だって、私が貴方を好きだとしても、貴方が私を好きかなんてわからない。
きっと私の片思い。
だから、多分振られるんだって思う。
振られてもいいよ。
振ってもいいよ。
でも、友達は続けてくれますか?
心の中で、何度も何度も問いかける。
答えの無い疑問は、出口を見つけることが出来ずに留まる。
気持ちを伝えたら、貴方はどんな答えをくれますか?
友達で、いてくれますか?
朝倉君、好きだよ。
ねえ、私はどうすればいいのかな?




いつもの時間、いつもの美術室。
一人残った私は、静かにカレンダーを睨みつける。
時間が経つのって早い、早すぎるよ。
明後日はもうバレンタイン・・・
まだチョコレートを買えずにいたら、美鈴に呆れられた。
『告白するもしないも、あんたの勝手だけどね。後悔はするんじゃないわよ』
美鈴の言葉が、まだ頭の中をグルグル回ってる。
今日は金曜日。
明日は遊ぶ約束をしている土曜日。
そして、明後日の日曜はバレンタインデー。
はぁっとため息が漏れた。
『好きなんでしょ?』
好きだよ・・・すごく好き。
『怖がってたら、何も始まらないよ』
わかってるよ、十分わかってる。
『このままもたもたして、トンビに油揚げって事もあるんだよ?』
そんなの、何度も考えたよ。
朝倉君は、別段容姿が良いってわけじゃないけど
長身で目立つから、もてないことも無い。
他の誰かが、先に告白するってのも考えられないことじゃない。
わかってる。わかってるんだよ。
でも・・・私・・・
泣きそうなくらい、惨めな気持ちだった。
こんなうじうじした自分、好きじゃない。
嫌いだよ。
今のままがいいなんて、偽善に決ってる。
友達の距離は心地良いけど、朝倉君に彼女が出来たら多分友達ではいられない。
それくらい、朝倉君が好きだよ。
なら、今その距離を変えたっていいじゃない。
自分に言い聞かせる。
そう、自分から行動しなくちゃいけない。
けど・・・友達でいられなくなるのは嫌。
私、本当にどうしたいの?
自分で自分がわからない。
窓際に設置してあるテーブルには、この間運んでもらった菜の花を活けた花瓶があった。
『菜の花って宇佐美に似合うなぁ、黄色が似合うのかな』
何気ない、朝倉君の一言。
朝倉君も、黄色似合うよね。
でも、菜の花の黄色じゃなくて、お日様に向かう向日葵の黄色だ。
すくすくお日様に向かって伸びる、明るくて深みのある黄色。
風にそよぐばかりの菜の花とは大違いだよ。
菜の花と朝倉君、モチーフにしたけどやっぱりどこか似合わない。
ねえ、私も貴方には似合わないかな?
悲しい気持ちが、胸の中で広がる。
意気地なしの自分。
情けないね。
いつもは好きなはずの美術室を染める夕日の光が、なんだか寂しかった。
窓の外を見ると、体育館から数人の人影が出てくる。
いつもの水飲み場に、数人が集まる。
ああ、バレー部終わったんだね。
人ごみの中に、ひと際高い影を見つけて、嬉しくなった。
こんな気持ちの時でも、貴方を見つけると嬉しくなる。
ふとその影がこちらに向けて、手を上げた。
ぶんぶんと片手を上に上げて、力いっぱい振ってる。
こっち?私に向けて振ってるの?私に気がついたの?
まさかと思いながら、小さく手を振り返すと、影はそれに答えたように
両手を大きく振って答えた。
私を見ていたんだろうか?
私に気がついてくれたんだろうか?
いつもは、私だけが見ているのに・・・
気がつくと、私は泣いていた。
胸が苦しくて、切なくて、嬉しかった。
私に気がついてくれた・・・そう信じたい。
「宇佐美ーまだ残ってるのかぁ?」
影が、私の名前を呼ぶ。
嬉しくて、嬉しくて、涙が止らなかった。
好きです。
貴方が好きです。
私を見つけてくれた、貴方が大好きです。
私は醜くて、自分が可愛くて・・・保身ばかり考える人間だけど
貴方を好きだと思うこの気持ちだけは、きっと誰にも負けない。
貴方が好きです。
鼻の奥がツンとして、目頭が熱くなって、唇が震えた。
涙が止らなかった。
伝えたいと、素直に思った。
だけど・・・好きだと伝えたら、朝倉君は困るんじゃないかって思う。
伝えたい・・・でも、困った顔は見たくない。




放課後、もう一度デパートの地下に寄った。
ピンクと茶色に包まれたバレンタイン用のチョコレート売り場は
相変わらず多くの人で賑わっていた。
私はその中で、皆が買わないようなものを買う。
ハート型とかブランド物とか、そんなのは買わない。
私が買ったのは、数個のチロルチョコ。
それと、もう一種類。
そしてラッピング用の和紙で出来た袋と、赤いリボン。
家に帰って、買ってきた物を広げた。
「気付いて、くれるかな・・・」
呟いて、見つめる。
視線の先、手の中には数個のチロルチョコ。
そして、メタリックピンクの包装紙に包まれたハート型のチョコ。
これはチロルチョコと殆ど変わらない大きさ。
最初に10個のチロルチョコを青い和紙の袋に詰めて、水色のリボンをした。
これは広瀬君用。
そして、ピンクの袋にチロルチョコ7個と、ハートのチョコを3つ入れた。
これは、朝倉君に・・・
広瀬君と朝倉君、2人に同じようなものを渡そうと思った。
朝倉君のにだけ、ハートのチョコをつめて。
ハートの意味・・・気付いてくれる?
それとも、唯の義理チョコだって思うかな。
迷惑だったら、気付いてくれないでも良い。
ううん、気付いて欲しくない。
でも・・・少しでも私を女の子としてみてくれているなら、
私の気持ちが嬉しいのなら、気付いて欲しい。
これは、賭けだ。
告白する勇気もない、私の賭け。
卑怯だって、言われるかもしれない。
自分でだって、そう思うよ。
けど、私は臆病で、どうしようもなく女々しい人間だった。
受身でばかり生きてきた私の、これが最大限の勇気。
3つのメタリックのピンクのハートチョコ。
数には意味は無い。
何となく、全部ハートにするわけにはいかないし、半分ハートにするのは気がとがめるし
4個にすると、ちょっとバランスが悪いような気がした。
だから、3つ。
この3つに私の気持ちがこもりますように。
祈りを込めて、リボンを結ぶ。
そしてため息をついた。
明日は、約束の日・・・



「桃香ーこっちこっち」
私が約束の場所についた時には、すでに全員が集まっていた。
100メートルくらい先で、美鈴が元気よく手を振っている。
約束した時間よりも10分以上遅れていた。
寝坊してしまったのだ。
昨日は、緊張しすぎて眠れなかった。
うとうとしたのは、空が明るくなってから。
気がついたら、起きる予定の時刻を随分と過ぎていた。
「ごめーん、遅くなって」
「めっずらしいな〜宇佐美が遅刻なんて」
怒っている様子も無く、広瀬君はけらけらと明るく笑っている。
どうやら今日のビリヤードがとても楽しみのようだった。
「寝坊?」
朝倉君が、首をかしげて話しかけてきた。
うう、恥ずかしい。
「う、うん。ご、ごめんね」
「気にすんなよー1時間遅れたってんじゃないんだからさ。
宇佐美ーこの人が例の姉ちゃんの彼氏、岡崎雅弘さん」
「はじめまして、宇佐美ちゃん」
岡崎さんと紹介された人は、朝倉君と変わらないくらい長身だった。
けど、怖いイメージとか全然なくて、優しく微笑んでくれた。
「でかいだろ?イヤミだよなぁ」
けらけら笑った広瀬君の頭を、岡崎さんが軽く小突いた。
どうやら、結構仲がいいらしい。
ビリヤード教えてもらったとか言ってたし、一緒に遊んだりしてるのかな?
すぐにビリヤード場に向かう。
初めてまともに話した広瀬君のお姉さんは、
広瀬君とそっくりな容姿をしているけど・・・中身は美鈴と似てるみたい。
ハキハキしゃべるし、はっきりとモノをいう人だ。
それがなんだか元気がよくって、岡崎さんとも仲が良くて微笑ましかった。
岡崎さんはとてもいい人で、ビリヤードを教えてくれるのも丁寧だし、
どんなミスをしても嫌な顔ひとつしない。
私達にさりげなく気を使ってくれるし、明るくて話しやすい。
人見知りする私でも、すんなりと仲良くなれた。
楽しかったけど・・・少し残念。
人見知りする同志、一緒に遊ぶかって言ってくれた朝倉君の言葉。
実行できなかったね・・・
そうして、楽しい時間はあっという間に過ぎてしまった。
岡崎さんと亜依さんと別れて、私たちは帰路につく。
決戦の時が来た。



「あ、朝倉君、広瀬君」
お茶をして帰ろう。
そう提案したのは美鈴だった。
時間はまだ夕方の5時を回ったところ。
まだいいでしょ?と、切り出して私たちは駅前のファーストフード店に入る。
夕飯前だからと、私と美鈴はジュースのみ。
胃袋の容量が違うのか、男の子達はバーガーのセットを頼んでいた。
「どした?」
ビリヤードの会話で盛り上がっていたのに、私の言葉で会話が打ち切ってしまった。
広瀬君も朝倉君も、そして美鈴も不思議そうな顔をして私を見てる。
私ってば、なんて空気の読めないやつなんだろう。
「宇佐美?」
ヤバイと思って止ってしまった私に、朝倉君が心配そうに声をかけてきた。
ああ、もう決心しなきゃ。
深く深呼吸して、カバンの中から包みを取り出す。
青い袋を広瀬君に、ピンクの袋を朝倉君に渡す。
「これ、明日バレンタインだから」
「マジで?ラッキー。今年は日曜だから貰えねぇと思ってたぁ」
広瀬君は満面の笑みを浮かべて、受け取ってくれる。
「ありがと」
朝倉君も、嬉しそうな笑顔で受け取ってくれた。
とりあえず、渡せた。
完全に義理だと思われただろうけど。
安堵の息を漏らした私の斜め前で、広瀬君がらんらんと目を輝かせる。
あ、ヤバイ。
これはヤバイ。
もしかしなくても、開けたがってる?
「なあなあ、開けていい?見ていい?」
「大ちゃん、やめなよ・・・デリカシー無さ過ぎ」
「えーーダメぇ〜?」
うう、そんな捨てられた子犬みたいな目で見ないで。
「うーさーみぃ〜だめぇ?」
「・・・い、いいよ」
本当は困る。
だって、もし朝倉君も開けちゃったら、中身が違うのばれちゃうよ。
っていうか、朝倉君がチョコの意味に気付かなくても
美鈴にはきっと気付かれちゃう。
それで、怒られるに決ってるんだ。
困っている私に気付きもせずに、広瀬君は目の前でラッピングのリボンをほどいた。
そして、袋の中身がテーブルの上にぶちまけられる。
「う、うさみぃ・・・」
「あははははは!ナイス!ナイスよ、桃香!」
転がり出たチロルチョコを前に、広瀬君は力なくうな垂れ
美鈴は指を刺して、大笑いしだした。
いや、あの・・・ナイスと言われても・・・
「だ、だめ?チロルチョコ、色々味あるし、楽しめると思ったんだけど」
見ると、向かいの席の朝倉君も苦笑を浮かべている。
チロルチョコって、そんなに笑われるものだっけ?
「そりゃ、チロルチョコは好きだけどさぁ」
「こらこら、素直に喜びなさい。貰えるだけいいでしょ」
笑いをかみ殺しながら、美鈴が広瀬君をたしなめる。
「うぅ〜ありがとぉ〜ございますぅ〜」
不満げな広瀬君は、ちょっと拗ねたような顔をしながら
チロルチョコの包みをひとつ開けて、口の中に放り込んだ。
「悠斗のも一緒?」
「あ、う、うん。一緒」
開けないで!
心の中で祈りながら頷く。
「あ〜あ、いいさ〜明日は本命チョコ貰えるしぃ〜」
「へぇ、大ちゃん当てはあるの?」
「ひでぇ、美鈴・・・くれない気?」
「あ〜・・・はいはい」
会話の内容が、私のチョコから美鈴のチョコの話にうつる。
「宇佐美、ありがとな」
2人の会話を尻目に、朝倉君はチョコを開けないで
そのまま自分のバッグの中にしまってくれた。
よ、よかったぁ。
もう一度安堵の息を漏らして、高鳴る鼓動を押さえ込むことができた。
帰って、見てくれるだろうか?
ハートのチョコに気がついてくれるだろうか?
会話は、いつのまにか他愛の無いものに変わっていく。
おしゃべりをしながらも、私の頭の中はハート型のチョコの事でいっぱいだった。
気付いてくれる?
それとも、ただの義理チョコだって思う?
期待と不安が入り混じって、その日の私は何度ため息をついたかわからない。
おしゃべりの内容は横滑りで、何を話したのかすらも覚えていない。
前日も眠れなかったというのに、その夜もなかなか眠る事ができなかった。




「桃香〜電話〜」
部屋のドアをノックされて、間延びしたお姉ちゃんの声が聞こえた。
真昼間だというのに、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
ベッドから起き上がると、お姉ちゃんがドアを開けて顔をだした。
「誰?」
「お・と・こ・の・こ」
私に向けて子機を差し出しながら、お姉ちゃんはニンマリとイヤらしい笑みを作る。
誰だろう?
普通だったら携帯にかかってくるはずなのに。
「桃香も大人になったね、男から電話が来るなんてね」
「うるさいなぁ、持ってきてくれてありがと。もう出てって」
子機を受け取って、お姉ちゃんの背中を押す。
お姉ちゃんは不満げな表情を浮かべて、ため息をついた。
「はいはい、わかりましたよ。電話終わったら子機戻すのよ」
お姉ちゃんが部屋を出て行ったのを確認して、保留ボタンを押した。
「もしもし?」
「宇佐美?俺、朝倉だけど」
「あ、あ、朝倉君!?」
寝ぼけていた頭が一気に覚醒した。
嘘?なんで?
朝倉君から電話なんて、初めてだ。
そりゃ、携帯番号の交換はしてるし、メールなんかはたまにするけど。
うわ、うわ・・・電話だとこんな風に聴こえるんだ。
肉声と少し違う、機械を通して変わってしまった声。
低い声が、更に低く感じられて、耳元で聴こえるそれは
私の心臓を鷲掴みにした。
「うん、あのさ、ちょっと訊きたいんだけどさ・・・宇佐美、
俺にくれたチョコ、間違えてない?」
「え?」
「あの・・・大地のと一緒じゃなかったんだ、俺が貰ったの。
誰かのと間違ってるんじゃないかと思ってさ・・・」
ボソボソと言い訳するみたいな響きを含んだ朝倉君の言葉。
「え〜っと、間違ってるなら交換した方がいいかと思ってさ・・・
今日バレンタイン当日じゃん?いや、まあ、ほら・・・渡す人がいるなら、さ」
ずくんっと、心臓が痛んだ。
ハート型のチョコの意味には気がついてくれた。
けど、間違えたんだって思ったんだ・・・
ねえ、それって、私はやっぱり恋愛対象外の存在だから?
私が貴方を好きだなんて、考えられないから?
「・・・渡す人なんて、いない、よ」
心臓はゆっくりと鼓動を打つ。
早いリズムなんて刻んでいない。
でも、痛い。
鼓動のひとつひとつが、鉛でも投げつけられてるような重たい感覚がする。
唇が乾いて、上手く言葉が出てこない。
「宇佐美?」
これって、振られるよりはマシかな・・・
気付かないでくれるなら、その方が幸せかな・・・
「間違ってないから・・・気にしないで食べちゃって、ね・・・」
「・・・なあ、宇佐美、それって」
気付かないで!
やだ。
振られるんなら、気付いて欲しくない。
友達でいい。
今のままでいい。
だから・・・気付かないで。
「あ、あの、電話、家族が使うみたいだから!あの、ごめんね。また明日学校で」
「え!あっ・・・」
朝倉君の返事を聞く前に電話を切る。
子機を持つ手が、小刻みに震えた。
ばれた・・・ばれてしまった。
絶対にわかってしまった。
振られる?
私、振られるの?
やだよ、そんなのやだ。
振られるのも嫌。
貴方が困る顔を見るのも嫌。
なんであんな事したんだろう。
ダメだよ、やっぱり私はダメだ。
時間が戻ればいい。
24時間でいいから、戻って欲しい。
そしたらチョコを渡す前に戻れる。
チョコをあげないでもすむ。
どうしよう、明日学校で会ったらどうしよう。
意気地の無い自分が腹立たしい。
誰だって、恋をして失恋を経験してる。
振られるくらいなんだって言うの。
振られたって、友達なのには変わりないじゃない。
そうだよ、そう。
友達でいい。
友達のままでいい。
無かった事にしよう。
あれは特別な意味なんかなくて、ただ入れただけ。
安いチョコの詰め合わせ。
ただそれだけ。
朝倉君にきかれても、そう答えよう。
そうとしか答えられない。
特別な意味があるって言ったら、朝倉君は困るでしょ?
私の気持ち・・・自分に向けられたものだなんて思えなかったんでしょ。
私は恋愛対象外なんでしょ?
私に出来ることは、ただそれだけ。
貴方を困らせないように・・・ただそれだけだ。
涙も出なかった。
泣いてはいけないと思った。
ただ、指と唇が震えた。
視線の隅っこで、電池の切れた携帯電話が転がっていた。





静かだ。
静か過ぎて、静寂が耳に痛いくらい。
相変わらず、私一人だけを時間の迷路に取り残したかのような
静かな、オレンジ色を湛える美術室。
絵の具と油の香りが鼻に付く。
キャンバスに筆を走らせながら、ふうとため息をついた。
モチーフにしたのは、菜の花。
優しい黄色が気に入っていた。
一週間近く前に園芸部から貰ってきた菜の花は、随分とくたびれてしまっている。
両手いっぱいに抱える量だったのに、今、花瓶に残っているのはたったの数本しかない。
なんだか気分が乗らなくて、筆をおいて椅子に座った。
今日は、一日中気分が重い。
だってね、ずーっと朝倉君がこっちを見てた。
何か言いたげだったけど、私は気付かないフリをして、彼を避け続けて今に至る。
やっと彼の視線から開放されたというのに、まだ気分は落ち着かない。
気付いて欲しい、そう思っていた。
チョコレートに込められた、私の想い。
だけど、気付かれたかもしれない今は・・・忘れて欲しかった。
本当にね、私ったらどうしたいんだろう?
振られるのは怖い。
友達でいられなくなるのは、すごく悲しい。
好きだと伝えたら、友達ではいられなくなるなんて、私の思い込みだろうか。
昨日から、同じような事ばかりを考えている気がする。
どうしようもない・・・
「宇佐美?」
美術室のドアが、がらりと音を立てて開いた。
視線を向けると、そこにはひょろ長い影。
オレンジ色の光に照らされた、朝倉君が立っている。
「・・・どうしたの?部活は?」
まだ終わる時間ではない。
バレー部の終わる時間帯は大体わかっていた。
部活を終えた朝倉君の姿を確認しから帰るってのが、いつもの日課になっているから・・・
だからこうして、私は悠長に絵を描いていられたんだ。
まだ、バレー部は終わってはいないはずだ。
「突き指したから、早退した」
かざした朝倉君の右手中指には、白い包帯がグルグルに巻かれていた。
「だ、大丈夫?」
「たいした事無い。ちょっとぼーっとしてた俺が悪いの」
「・・・痛くない?」
朝倉君は、何も言わずに微笑んで首を横に振った。
夕日に照らされた彼の顔は、いつもより綺麗に見える。
朝倉君は、特に整った顔をしているわけじゃない。
でも、今日だけは綺麗に見える。
だって、ほら・・・目がとても真剣だ。
私を見ている朝倉君。
何かを訊きたそうな顔。
ドキドキする。
どうしよう・・・訊かれたら、なんて答えよう。
「なあ、宇佐美。これってさ、どういう意味?」
心臓が、鼓動を止めたような気がした。
ズクンっと音がして、胸が痛い。
朝倉君の手の中、怪我をしていないほうの手の中には、メタリックピンクのハートチョコ。
「あ・・・」
「昨日からずっと考えてるんだ。おかげで部活中も考え事してこれだ」
苦笑、というか、自嘲的な笑みを浮かべて、朝倉君は右手をヒラヒラさせた。
義理チョコだと言えば済む事なのに・・・嘘はつきたくない。
「大地と同じって言ってたけど、俺のにはこれが入ってた。
なあ、これってそういう意味?それとも、俺の自意識過剰?」
あ、朝倉君、困った顔してる。
困るんだね・・・だよね。
友達としか思っていない女から、本命チョコ貰っても困るだけだよね。
困らせちゃいけない。
私の勝手な気持ちのせいで、彼を困らせちゃいけない。
「・・・ちが・・・」
違うよ。そんなんじゃないよ。
そういいたかった。
でも言葉が出てこなかった。
泣いちゃ、ダメ・・・ダメだよ。
自分にそう言い聞かせる。
ダメだ。
これ以上何かを口に出せば、泣いてしまいそう。
もう堪えきれない。
「なんでもないから。た、ただのチョコだから!」
そう言い放つと、私は彼の脇をすり抜けて走り出す。
逃げてる。
私は卑怯だ。
わかっているけど、彼に泣き顔を見せるのはもっと卑怯だと思った。
「宇佐美!?」
廊下を走って逃げようとした私の腕を、朝倉君が捕まえる。
「や、離してっ!」
「ってぇ・・・」
振り払おうとしてあげた腕が、怪我をしている朝倉君の指にあたったのか
彼は、顔を顰めて怪我をしている手を押さえた。
「ご、ごめん・・・ごめんなさい」
逃げようと思えば逃げられた。
今なら、彼が手を離した今なら逃げられる。
でも、心配する気持ちの方が強くて、痛みに歪む彼の顔を覗き込んだ。
「ごめんね、痛かった?本当にごめんね」
心配する私の様子がおかしかったのか、朝倉君はふっと笑みを浮かべる。
「大丈夫だよ。ちょっと痛かったけど・・・なあ、宇佐美」
笑みを浮かべたまま、朝倉君は私の手首を掴んだ。
訊かれる。
覚悟を決めなきゃ。
ちゃんと、なんでもないんだよって、答えなきゃ。
逃げたいけど、また怪我をした手に触ってしまいそうで、逃げられない。
泣かないで、泣かないでね、私。
きちんと笑顔で、なんでもないって嘘をつくんだよ。
「チョコ、さ。嬉しかったから・・・特別な意味無くても、俺は嬉しかったから」
頭の中が真っ白になる。
一瞬、何を言われているのかわからなかった。
多分今の私は、すっごく間抜けな顔をしている気がする。
「俺、ガキだからさ・・・まだ好きとかわかんないけど・・・これは嬉しかった。
ま、俺の勘違いだったら大恥だけどな」
照れたような、はにかんだ笑顔を浮かべた朝倉君の顔は、真っ赤だった。
これって、夕日のせいじゃないよね?
「宇佐美っ!?な、な、何で泣いてんだっ!?」
うろたえる彼の反応で、初めて自分が泣いてるんだって気がついた。
泣き顔見せちゃダメだって、卑怯だった思ったのに・・・
「うわっ、ごめん。俺、なんか変な事言ったか?」
慌ててる朝倉君の顔が、涙のせいで歪んでみる。
好きだな。
素直にそう思った。
「宇佐美?」
何も答えられなかった。
昨日から我慢していた涙が、貯まりに貯まって
まるで壊れたダムが溢れるみたいに止らなかった。
「大丈夫か?どうしたんだよ・・・」
小さな子供を慰めるように、朝倉君の大きな手が私の頭を撫でてくれる。
それが気持ちよくて、猫がゴロゴロ言う時ってこんな気持ちなのかな、なんて思った。
好きだよ。
貴方が私を特別な女の子だと思って無くても、やっぱり貴方が好きだ。
チョコを見たときから、ずっと悩んでくれてたのかな。
私のこと、考えてくれてたのかな。
ごめんね。
それなのに、逃げてばかりだった私を許してね。
そして、ありがとう。
私のことを考えてくれて、ありがとう。
嬉しいと言ってくれて、ありがとう。
貴方が好きです。
伝えたかった。
でも、友達の距離を壊したくなくて伝えられなかった。
私の賭けに気付いてくれて、ありがとう。
チョコに気付いてくれて、ありがとう。
「ありが、とう・・・」
「宇佐美?」
不思議そうに私を見ている朝倉君。
貴方が好きです。
いつか、伝えられるかな・・・この気持ち。
泣きながら微笑むと、朝倉君も照れたような赤い顔で微笑み返してくれる。
たれ気味の目じりが、更に下がって・・・幼く見えるね。
ねえ、いつか私を特別に見てくれますか?
・・・ううん、それは贅沢だね。
ただ、今は・・・貴方が好きです。
貴方を好きでよかった、そう思います。
私が泣き止むまで、朝倉君は頭を撫でてくれた。
ねえ、私・・・今すごく、幸せだよ。



                                            【了】
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