君を想う春夏秋冬




1、春子



久しぶりにその前に立つ。
久しぶりといっても、約一ヶ月ぶりだろうか?
ためらうことなくドアの前に立つと、ガラスの自動ドアが開いた。
軽めの、だけど耳障りじゃないドアベルのような音が店内に響く。
「いらっしゃいませ…お、久しぶり」
一ヶ月ぶりに会う友人は、愛想の良い営業スマイルをドアの方へ向けてきた。
私の顔を見ると、彼はそれまでとは違う親しみを込めた笑顔を浮かべる。
「美容院は、一ヶ月に一度で十分じゃない?」
「ま、それもそうだな」
久しぶりだというのに、私達はお互いに軽口を叩き合う。
大学時代からの友人は、数年たった今もあまり変わらない。
それどころか、美容師という職業のせいか、前よりも若くみえるほどだ。
元々ファニーフェイスのくせに、これ以上若返ってどうするつもりだろう?
もう三十路も間近を迎える年とは思えないほど、彼は若々しい。
大学時代とは違い、軽くパーマを当てた柔らかそうな髪が、彼をなおさら若く見せているのかもしれない。
「こらこら、美容師がなんてこと言うのよ」
艶のある女性の声にたしなめられて、彼は悪戯の見つかった子供のような顔でニヤリと笑った。
声を掛けてきた女性は、このお店の店長。
店の中央で客の髪をカットしていた手を止めて、私達を見ていた。
「いらっしゃい、春子ちゃん」
すっかり馴染みになってしまっていた私を、彼女はいつも笑顔で迎えてくれる。
人を和ます雰囲気のある人だ。
年は私達よりも十歳近く上だというが、全然そんな風には見えない。
同じ世代に見えても不思議じゃない。
美容師という職業は、人を若返らせるのかもしれない。
細くて柔らかそうな栗色の髪を、ふんわりとカールさせている彼女。
どうしてだか、彼女を見ていると・・・引っ込み思案の友人を思い出した。
もしかしたら、彼も店長の中に彼女をみているのかもしれない。
ふっとそんな事を考えながら、店内を見渡す。
満員では無いが私の他にも3〜4人の客がいた。
「予約しないできちゃったけど…大丈夫?」
「ああ、大丈夫大丈夫。今日は皆カットだけだし余裕だって。すぐ終わるよ」
彼の言葉に、待合席に座っていた十代らしい女の子が顔をしかめる。
「ひっどーい。ヒロさんってば、ちょっと冷たいよぉ?」
「あ〜ごめんごめん」
「ホントよねぇ〜ヒロくんったら、もっとお客様を大切にしなさい」
店長と女の子に責められて、彼―堂本広はちろりと舌を出して笑った。
こういうところは、大学時代から変わらない。
彼がいると、いつも場が明るくなる。
彼の柔軟な人当たりのなせるわざなのかもしれない。
だけど、一度だけその笑顔が消えた事があった。
まるで火が消えたようだ、とはあの時の彼の事を言うんだろう。
いつも浮かべていた明るい笑顔が消え、深く沈んでいた頃。
随分落ち着いたものだ。
「今日はどうする?」
私の心情を知らないヒロは、変わらないおどけた態度のままで店員の仕事を始める。
こんなんでやっていけるから不思議だ。
これも彼の人徳なんだろうか?
「いつもと同じで」
答える私に、ヒロは顔をしかめた。
「なあ、たまには変えないか?カットもいつもそろえるくらいじゃん」
「う〜ん、今度ね」
ヒロはどうやら前から私の髪型を変えたがっているらしい。
っても、どうせ態の良いカットモデルを探しているに違いない。
苦笑して軽く流すと、ヒロは諦めた顔でため息をついた。
「はいはい、了解。シャンプー・トリートメント・カット・カラーリングだな」
私の顧客リストを持ち出して、ヒロはペンを走らせる。
とりあえずは真面目に仕事しているんだね。
彼が美容師という職について、もう4年の歳月が流れていた。
大学を卒業して、結構一流の企業に営業として入った彼が、
いきなり転職すると言い出したのは、社会人2年目の秋。
最初は、何をトチ狂ったのか心配したものだが、
この仕事は彼の性分にはあっているようだ。
「じゃ、ちょっと待っててな?」
仕事に戻るヒロの背中を見送くると、何故だかため息が漏れた。



「嘘・・・よ・・・」
満開の桜が、静かに花びらを散らしていた。
サッカー部の毎年恒例の花見会場。
宴も酣。お酒も手伝って、部員達は無礼講で楽しんでいる。
そんな奇声や笑い声の響く中で、第一報を聞いた。
携帯電話を持っていた手が震える。
覚悟をしていなかったわけじゃない。
去年の冬から、わかっていた事だ。
だけど、信じられない。
信じたくない。
どうして、彼女がそんな目に合うんだろう。
彼女は、幸せになってもいいはずの人間なのに。
引っ込み思案で、だけど少し頑固で、素直な未来。
大学に入ってから出来た友人は、美人というわけじゃないのに
可愛い雰囲気の女の子で、私が男だったら放っておかないってタイプの子だ。
最初は、カマトトぶった子なのかと疑ったが、付き合っていくうちに、
それが地なのだと思い知らされて、かなりおかしかった。
素直で、優しくて、頑張り屋の未来。
彼女が幸せになれないなんて、嘘だと思う。
彼女は幸せになるべき人間だと思っていた。
だから、去年の冬に告げられた現実は辛く、受け止めがたいもので・・・
お見舞いに行く度に、少しずつ弱っていく彼女を見るのはとても辛かった。
そして今日・・・未来は永遠の眠りに着いたのだと聞かされる。
電話越しにヒロの泣いている声が聞こえても、それが事実だとは信じがたい。
「いや・・・そんなのってない。やだ・・・」
先週お見舞いに行ったら、未来は痩せてはいたけど笑顔で迎えてくれたじゃない。
死んだなんて、信じられない。
無意識のうちに、体が震える。
震えた唇から出る言葉は、途切れ途切れのモノにしかならず
私は上手く話せないでいた。
息が出来なくて、視界が歪んでいく。
「ハルちゃん?」
隣に座っていたコウ君が、私の異変に気付いて声を掛けてきたけど
私は何も答えられずに、ただ首を横に振った。
「どうした?何で泣いているんだ?ハルちゃん?」
コウ君に言われて初めて、自分が泣いているのに気がつく。
メイクも何も気にして入られないほど、ボロボロとあふれ出る涙が顔を濡らす。
きっとすごい顔をしているはずだ。
「ハルちゃん?」
未来が死んでしまったのだと、コウ君に伝えなくてはいけない。
幼なじみで、何よりも彼女を大切にしてきたコウ君。
彼に、一番最初に伝えなくちゃいけない。
わかっているのに、上手く言葉を発せられない。
「・・・コウ・・・くっ・・・ん・・・みら・・・」
しゃくりあげながら、意味不明な言葉の羅列を並べても
きっと伝わらないと思い、そのまま携帯電話を手渡した。
「・・・もしもし?」
不思議そうに受け取った携帯電話に話しかけたコウ君の顔色が、
見る見るうちに変わっていくのがわかる。
「わかった・・・今からそっちに行く」
電話を切って、コウ君は拳を振り上げて地面を叩いた。
悔しげに歪む表情は、今にも泣き出しそうだった。
ダンっと大きな音にびっくりした部員達が、コウ君の様子を窺う。
ぎゅっと硬く閉じた瞼とかみ締めた唇が、震えていた。
「・・・すまん、俺今日は抜ける」
静かに立ち上がったコウ君は、走り出しそうな勢いで靴を履く。
そのままいってしまうかと思ったら、彼は私に視線を投げてよこした。
「ハルちゃん、行こう」
呼びかけに、未だに震える体でのろのろと立ち上がる。
うん、行かなくちゃ。
未来の側に行かなくちゃ。
泣き続ける私の手をひいて、コウ君は歩き出す。
泣きながら彼に手をひかれている様は、多分子供のようだろう。
溢れる涙は止めようとしても止らず、片手で涙を拭いながら唇を噛む。
病院に着くまで、コウ君は無言だった。
泣きもしなかった。
だけど、繋いだ手が震えていた。



久しぶりに呼び出されて、私はあるオープンカフェにいた。
暑かった夏の日差しもなりを顰めて、季節は秋へと指しかかろうとしている。
まだ少し暑いが、外の空気は気持ちが良い。
このカフェには、大学の頃よく通っていたっけ。
私と未来とコウ君とヒロ。
想い出が詰まっていて、しばらくの間は避けていてお店だった。
未来を失ってから、もう3年も経っているのだと店についてから気がつく。
ホント、季節の流れって早いもんだわ。
今では、静かな気持ちで懐かしむ事が出来る。
ここに呼び出した張本人は、私の向かいに座って苦笑していた。
彼の発言は、到底信じられるものではなく、
飲んでいたアイスコーヒーを噴出しそうになる。
「・・・本気?」
問いかけに、彼は黙って頷いた。
微笑を浮かべてはいるものの、彼の決心は固いようだ。
信じられない。
私は、深いため息をついて頭を抱える。
『美容師に、なろうと思うんだ』
さっきの発言を、合宿でこれなかったコウ君が聞いたらなんていうだろう。
そりゃ、私は安定志向の人間って訳でもないから
友人が進みたい道に進むのを反対することはしたくない。
でも、なんで美容師?
ヒロとの友人歴はもう6年か7年になるけど、一度もそんなの聞いた事がない。
思いつきで言っているようにしか聴こえなかった。
「今の会社は?やめるの?」
そりゃ、反対する気はない。
ないけど・・・思いつきで人生棒に振るのはどうかと思う。
美容師の知り合いはいないけど、そんなに簡単なものじゃないと聞く。
意外と肉体労働だし、唯でさえも水仕事で手を傷めるのに、
パーマ液なんかの薬品でアレルギーがでて、続けられない人もいるという。
しかも、技術職だから、一人前になるのはかなりの年数が要るだろう。
今、ヒロは24歳。
今からでは遅いんじゃないだろうか?
「会社はもう辞めた。来週から雇ってくれる美容室も探したんだ。
・・・なあ、やっぱお前も反対するか?」
散々身内に反対されたのか、ヒロはぽりぽりと指で頬をかきながら
上目遣いでこちらを見ていた。
はぁ〜っと、また深いため息が漏れる。
「反対はねぇ・・・しないけど・・・一体どうして美容師なのよ?突然すぎない?」
「う〜ん、そりゃ、俺も美容師になるつもりなんてなかったけどさ・・・
なんつーか、必然というか・・・うん、まあ仕方ないつーか」
一流といわれる会社を辞めて美容師になるのの、何が必然だというんだろう。
「一からはじめるんでしょ?今からで大丈夫なの?」
「あ〜俺もそれは考えたんだが・・・ま、どうにかなるっしょ」
ヒロは明るい笑顔で言い切る。
久しぶりに、そんな顔を見た気がした。
未来が死んでしまって、もう3年。
彼女の最後に立ち会ったヒロ。
二人は恋人ではなかった。
多分、そんな関係ではなかったと思う。
二人に一番近い友人だった私が言うんだから、それはきっと間違いじゃない。
だけど、二人には恋人よりも強い絆が合ったように思える。
未来を失ってから、ヒロは少し変わった。
いつもおどけて見せる彼の顔から、時折ふっと笑顔が消える。
そして空を見つめて目を細めた。
何を考えているのか、なんて聞かなくてもわかった。
未来を思い出して、せつなげな瞳をする友人。
火が消えてしまったような、とはこの事を指すんだろう。
明るく笑うのに、前とは少し違う。
どこか翳りを含んだ表情。
友人として、心配じゃなかったといえば嘘になる。
だから、今彼が見せた笑顔に驚いた。
昔の・・・未来が生きていた頃のような、一転の曇りもない笑顔。
だから、それ以上反対する気にはなれなくて・・・私はため息をつく。
「そ、じゃあ、がんばんなさいな」
未来を失った事で、何かをなくしてしまった友人。
彼を見ていると、とても辛い。
そんな彼が、少しでも元に戻る可能性があるのなら・・・
彼が、前に向かって変わっていこうとしているのなら・・・
反対する理由はなかった。
「サンキュ。誰かにそういって欲しかったんだ」
「あ、でもカットモデルはいやよ。今の髪型が一番私に似合ってるんだから」
彼の前途を、明るく祝ってあげよう。
お酒ではないけれど、コーヒーの入ったグラスを彼に向かって掲げる。
私の思惑を理解したヒロも、それに倣ってグラスを持ち上げた。
「前途を祝して」
触れ合ったグラスが、カチンっと小気味いい音を立てた。
ニヤリと笑うと、ヒロも笑った。



「で、旦那は元気か?」
シャンプーした私の髪にドライヤーをかけながら、ヒロは何食わなく顔で聞いてくる。
「ん〜多分元気だと思うわよ。もう2週間会ってないけどね」
人に頭を洗ってもらったり、ドライヤーをかけてもらうのは気持ちがいい。
手馴れた様子で、器用にブラシをつかって髪を乾かす仕草は、結構堂に入っている。
最初のうちは下手くそだったけど、四年もするとこんなに上達するのね。
「あ〜また合宿か?新婚家庭なのに難儀なこった」
「慣れてるわ」
去年の春、式を挙げた旦那は、なんと大学の頃から好きだった人だ。
ずーっと私の片思いだったんだけど・・・
「寂しい事いうなって。遊びなら付き合いますよ〜奥さん」
「あんたも忙しいくせに」
からかい口調のヒロをきっと睨んでやった。
ああ、でも本当に寂しい。
惚れた弱みというべきなのか、なんだかんだいって私はコウ君がいないと寂しい。
たった二週間離れているだけで、こんなに寂しい気分になる。
まるで、たった一人で置いてけぼりにされた迷子の子供みたいだ。
「まあね、やらなきゃいけない事がいっぱいあって忙しいではあるな」
「自分で選んだ道でしょ」
私が冷たく言ってやると、ヒロは『へいへい』と不満げに頷く。
明るくなった、とは思う。
最初にこの店に来たとき、ヒロはお客の髪に触る事も許されない。
下っ端も下っ端。
雑役夫のような仕事ばかりしていたっけ。
それでも、明るくなっていったのは手に取るようにわかった。
最初は店長に惚れているんだろうか、と思った。
ヒロが、時折店長の後姿を切なげに見つめていたから。
でもね、今はわかるよ。
あんた、まだ未来が好きなのね。
もしかしなくても、店長の後姿に未来を重ねているでしょ?
柔らかそうな、絹糸のような栗色の髪。
ふんわりと柔らかなウエーブを描く髪。
店長だけじゃなくて、そんな髪をしている人を
時折切なげに見つめてるのに気がついたのは、一体いつの頃だったか。
バカだなぁって思う。
どんなに思っても、彼女は返ってこないのに・・・
前を向いて歩いて欲しいのに。
彼は振り返る。
彼女の面影を誰かに見つけるたび・・・
ねえ、寂しいでしょ?
私はコウ君と二週間会えないだけで、こんなに寂しい。
ねえ、未来は返ってこないんだよ?
いつも、言いかけてやめる。
彼の思う気持ちが深いほど、彼を傷つけてしまいそうだから。
「で、今度はいつ帰って来るんだ?」
どきっとした、あまりにもタイミングのいい質問に、
胸のうちを見透かされているのかと思った。
「あ、ああ・・・えっと、来週には帰って来る予定よ」
焦る気持ちを悟られないように、努めて平静を装い答える。
そう、私は来週にはコウ君に会える。
大好きな人に会える。
でも・・・ヒロは・・・
「じゃあさ、今度飲みに行こうって伝えてくれよ。
俺、ここニ〜三ヶ月まともに会ってないんだぜ」
「わかった。伝えておくね」
機嫌よく私の髪を纏めるヒロ。
まだ・・・まだ未来の影を求めているの?
「新婚家庭にお邪魔してやるぜ」
私の心配をよそに、ヒロは鼻歌交じりにドライヤーを片付けはじめる。
「はい、交代ね」
「ほーい」
タイミングよく現れた店長に、私は安堵の息を漏らした。
もう少し話を続けていたら、ヒロに聞いてしまいそうだ。
まだ、未来が好きなの?っと。
訊いちゃいけないと思っているのに・・・
「邪魔にならない時に呼んで上げるわよ」
いつものように軽口を返すと、ヒロは拗ねたように唇を尖らせる。
「あ〜やだねぇ〜これだから新婚さんは。ちぇ〜っ一人だけ幸せになりやがって」
ブツブツと文句をたれるヒロの背中を、店長がぱしっと叩いた。
「はいはい、ご愁傷様〜。ヒロ君は次のお客様をお願いねぇ」
「ほ〜ら、働け下っ端」
次の仕事を促されるヒロに、笑って憎まれ口を叩く。
「昨今の女は怖いわぁ〜ヒロ君泣いちゃう」
「ヒロ」
ふざけてヨヨヨとシナを造り、去っていこうとするヒロの背中に呼びかけた。
「ん〜?」
振り返ったヒロは、不思議そうな目をして私を見ている。
「・・・あんたも、幸せになりなさいよ?」
幸せになってよ。
あんただって、幸せになるべき人間だよ。
未来の事は、口に出せない。
だけど、私が何を言いたいのか、ヒロは理解してくれたようだった。
少し驚いたような顔をして、寂しげに微笑む。
「そのうち、な」
それだけ言うと、彼は仕事へ戻っていった。
幸せになって欲しかった。
未来を求めて振り返るのは、もうやめて欲しかった。
ねえ、私もコウ君も、あんたの事心配してるんだよ?
あんたにとっては迷惑かもしれないけど、本気で心配してるんだよ。
未来のことは大好きだ。
彼女と一緒に過ごした時間の、倍以上が流れた今でも、
素直に彼女の事が好きだったと言える。
ゆっくりとセピアの色の染まっていく思い出の中、
彼女はいつまでも変わらない姿で微笑む。
ねえ、ヒロ・・・あんたも早く思い出にしてしまいなよ。
彼の中では、まで彼女は天然色で輝いているんだろう。
優しい未来。
素直な未来。
好きにならないはずはない。
忘れろとは言わない。
忘れられるはずはない。
だけど・・・もう、思い出にしてしまってよ。
去っていく友人の背中を見つめて、目頭が熱くなるのを感じる。
ねえ、ヒロ・・・あんたを見ていると少し切ない。
あんたには幸せになって欲しいよ・・・
これは、友人としての願い。





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