そこに存在するもの 9




人は迷いながら生きていく。
そんな台詞を言ったのは、誰だっただろう?
どんなに後悔しても、過ぎた時間は取り戻せない。
掌からこぼれていく、たくさんの砂粒みたいに・・・取り戻せない時間がある。
あの時のあの行動が、今を導いたのだとしたら・・・

今でもわからない。
俺がとった行動が正しいものだったのかどうか。


晴れた青い空に、薄桃色の花びらが消えていく。
過ぎ去ってしまったあの日のように・・・




静かに寝息をたてる、白い横顔をただ黙ってみていた。
医者と未来との間で、一体どんな会話があったのかはわからないが
入院してから2週間目の今日、未来は退院した。
俺から見たら、どうしても回復しているようには見えない。
ここに来る間だって、タクシーを使ってほとんど歩く事はしなかったが
未来の足取りはおぼつか無くて、支えを必要としていた。
それなのに、どうして退院したのか。
怒る俺に、未来はただ笑って
『いつまでも家を放っておけないから』と言った。
確かに、その気持ちはわからんでもないさ。
未来にとって、この家は家族と一緒に暮らした象徴のようなものだろう。
人が住まない家は傷んでいく。
だからこそ、放置しては置けないと、思ったんだろう。
けど・・・こんな未来が一人でどうするというんだ。
和希さんはいるとしても、あの人には見ているだけしか出来ない。
こんなに広い家で、具合の悪い奴を放っておく事なんて出来ないだろ?
ってことで、バイトは急遽休みを取った。
長期で休みをくれ!っと言ってクビになっちまったが仕方ない。
親に仕送りをしてもらっている身なんで、学費と家賃光熱費はどうにかなる。
あとは、食費やら交遊費やら・・・まあ、どうにかなるだろう。
多分なる。
きっとなる・・・なるといいなぁ。
貯金通帳の残高を頭に思い浮かべる。
どうにかこうにかやっていけるだろう。
ちょっとの間、遊ばなきゃいいんだ。
それに、未来のことも気になるから、遊んでる場合じゃないしな。
「さて・・・と」
未来が完全に寝入ったのを確認して、立ち上がった。
「どうしたの?」
「い、いたんですか・・・」
「いたよ」
最近では、いつも傍にいるわけではなく、消えたり現れたりする和希さんに
突然声をかけられて、驚いた。
ってか、ほんと・・・もうちょっとマシな出方してください。
「帰るのかい?」
「いや・・・ちょっと・・・下に・・・」
言い出しづらくて口ごもると、和希さんはちょっと不思議そうな顔をする。
「下?下でなにかするのかい?」
「・・・掃除を・・・風呂場の・・・」
言っちまった。言っちまった。
本当は、和希さんにも知られたくなかったんだけどな。
実は、未来の退院に付き添ってきた理由の一端はそれにある。
とりあえず、未来が見る前に風呂場を掃除したかった。
あの日のままになっているだろう風呂場。
血で染まった水、血の落ちたタイル。
あの日の惨状が未来の目に入る前に、消してしまおう。
そう心に決めていた。
あの現状を見てしまったら、思い出してしまうだろうから。
見てほしくなかった。
「ああ・・・ごめん。お願いするよ」
和希さんは、もう一度ごめん。と口元をゆがめる。
「俺こそ・・・勝手しちまってすみません」
「いや、手伝えなくてごめんね」
和希さんは、悲しげな笑顔を浮かべたまま、空気へ溶けていった。
2,3日前から、和希さんの様子がおかしいのは気がついていた。
一体何があったのか、訊こうとしても答えてくれない。
未来が生きていくと決めた事に、何かしらの複雑な思いがあるのだろう。
傍で見守っていく。
和希さんがそう決めたんだから、俺には何も言えなかった。






栄養のあるもの。
考えに考え抜いて、鍋焼きうどんを作った。
ネギと鶏肉をふんだんに使って作ったそれは、どう見ても栄養満点。
夏のクソ暑い時に、とかって突っ込みはこの際無視だ。
風呂場の掃除をして、近所のスーパーで買い物をして、飯を作る。
俺ってば甲斐甲斐しい!
きっとつくすタイプだね。
なーんて、自分に自分で突っ込みを入れながら、
他人の台所で料理なんぞをしてみたりして・・・
勝手を知らない台所なんで、調味料やら道具やらの位置がわからず
かなり手間取ったが、その甲斐あって、中々の味に仕上がった。
トレイに一人前用の小さな土鍋を置いて、小皿とお箸とレンゲをのせる。
食事のときはお茶がいいか、それともスポーツドリンクがいいか。
悩んだ末、500ミリのペットボトルを両方持った。
未来の部屋は二階にあって、その量を持っていくのは結構至難の業だ。
バランスを崩さないように、階段を上る。
未来の部屋の前に立って、一応ノックをしてみるが返事がないので
無許可でドアを開けた。
「未来?おきれるか?」
机の上にトレイを置いて、ベッドで眠っている未来の顔を覗き込む。
「みーらーい?」
「・・・おにい、ちゃん?」
睫毛を震わせて、ゆっくりと開いた瞼。
その瞳はどこか焦点が合ってなくておぼつか無い。
「俺だよ。堂本。和希さんの夢でもみたか?」
ふんわりとした栗色の髪を撫でると、夢から覚めたばかりの瞳が俺を捉える。
その瞳には、ありありとした失望の色が浮かび、
じんわりと涙が浮かんでくる。
「・・・会いたい・・・」
呟いた言葉と同時に、大きな瞳が涙で揺れた。
小さな頬に手を当てて、親指で涙を拭ってやるが未来の涙は止らない。
「会いたいよ・・・会いたいの・・・お兄ちゃんに会いたい。お兄ちゃんに触れたい。
声が聞きたい。抱きしめてほしい」
「未来・・・」
未来が激情をあらわにしたのは、久しぶりだった。
『生きていく』そう決めた時から、未来は和希さんを恋しがる様子をみせなかった。
『ずっと傍にいてくれるんだよね』
何度か念を押して尋ねてはきたが、泣くのは久しぶりだ。
「私が・・・ね。こうやって体調を崩すと、いつもお兄ちゃんが看病してくれたの。
いつもそうやって、頭を撫でてくれたの・・・
なんでその手はお兄ちゃんじゃないんだろう・・・お兄ちゃんに会いたいよ・・・
ごめんね・・・ごめんね・・・堂本君」
未来は、子供みたいに泣きじゃくりながら和希さんを求めた。
「ねえ、どうして会えないの?なんで会えないのかなぁ。
伝えたい事がいっぱいあるの。聞きたいことも山ほどあるの・・・
なんで私には見えないの?」
我慢していたんだと思う。
俺や和希さんに心配かけないように。
だけど、何かの発端で堰を切ったしまった感情はとどまる事を知らず流される。
俺は堪らず未来を抱きしめた。
何をいえばいいのかわからなかった。
まだ未来の中には、寂しさがあって。
それを消すには、時間が必要だった。
「お兄ちゃん・・・お兄ちゃんに抱きしめてほしい・・・」
俺にごめん、と謝りながら呟く言葉は、紛れもなく本心で
責める事は出来ない。
「僕も、未来を抱きしめたいよ」
声が、した。
それは一瞬の出来事だった。
首の後ろがざわついたような、あわ立つような、
奇妙な感覚に襲われて・・・気がついたら、俺がしゃべっていた。
俺の意思じゃなく・・・俺の言葉でもない言葉を。
感覚は、ある。
未来の柔らかく細い体を抱いている感触は、腕にある。
だけど・・・その腕に力がこもったのは俺の意思じゃなかった。
「堂本君?」
不思議そうな表情をして、未来が俺を見上げた。
そりゃそうだ。
俺は今まで、『僕』なんて一人称使った事がない。
『僕』っていうのは、それは・・・和希さん。
「僕だよ。わかるかい?未来」
「・・・お兄ちゃん?」
「そう、僕だよ・・・未来、大切な僕の未来」
俺の口からは、俺のものじゃない言葉が流れ出る。
俺の意思と反して、手が勝手に未来の頬に触れた。
「お前を愛しているよ。お前を残して死んでしまうのは怖かった。
死んでも、お前の傍を離れられないくらい、お前を愛してる」
和希さん!!和希さん!!!和希さーーーーん!!!!
なんで俺の体を乗っ取ってるんだ!
なんで!?
マジ勘弁してください!
叫んでいるつもりだけど、それは心の声にしかなっていないようだった。
完全に俺の体は、和希さんの思いのままに動いてる。
「僕は、お前を愛してる。お前を抱きしめたい、そう思ったら
いつの間にか、堂本君の体の中に入っていたよ・・・
堂本君には悪いけど、こうやってお前を抱きしめる事が出来て、嬉しい。
たとえそれが、僕自身の体じゃなかったとしても、ね」
ごめん、堂本君。
声にならない言葉が聞こえた。
それは紛れもなく、和希さんの声だった。
気持ちは・・・わかる。
未来を好きで好きで、仕方なくて・・・
抱きしめたいのに、抱きしめられる腕がない自分がもどかしくて。
未来に求められ、自分も求めて・・・俺もそんな2人に同情して。
もしかしたら、それで俺の体の中に入ってしまったのかもしれない。
だけど、それとこれとは話が別だ。
これは俺の体だ。
「本当にお兄ちゃんなの?」
未来が、不安げな顔で俺を見つめる。
その視線は、俺じゃなくて、俺の中にいる和希さんを見ようと、
一生懸命な気がした。
「本当に僕だよ。寂しい思いをさせてごめん」
「お兄ちゃん。お兄ちゃん!大好き、大好きだよ。愛してる」
未来の大きな瞳からぽろぽろと流れる涙は、綺麗だった。
まるで宝石のように、透明でキラキラと輝いてる。
人を想って流す涙だからなんだろうか?
嬉しいのか、悲しいのか。
泣き続ける未来の告白は、今までのどんな言葉よりも胸を打った。
心の奥底から、搾り出されたような声。
和希さんだと信じているんだろうか?
それとも、そんな事関係なく、嘘だろうと本当だろうと
騙されてしまいたいほど、未来は追いつめられているんだろうか?
「僕もお前を愛してる」
言うと同時に、俺のものであるはずの指が、ゆっくりと未来の顎をすくう。
そして、未来の顔が近づいてきた。
唇に柔らかい感触。
キスをしたんだと気がついて、俺の頭の中はパニックだ。
人の体で何やってんだよ!!
懸命に和希さんに呼びかけるも、和希さんからの返事はない。
ちょっと待ってくれよ。
俺の体・・・このまま和希さんのものになるとかって、怖い事にならねぇよな。
「・・・変なの、堂本君なのにね・・・お兄ちゃんに見えてくる・・・
堂本君は、どうしちゃったの?」
「・・・いるよ。借りているだけだからね」
「そっか・・・ごめんね。堂本君・・・もう少し、お兄ちゃんと一緒にいさせて」
未来の言葉を聞くと、俺は何も言えなくなる。
和希さんの胸に顔を埋める未来は、俺といる時なんかよりも
かなり安心しているみたいだった。
嬉しそうで、幸せそうで・・・俺が求めている笑顔を浮かべてる。
俺は、未来が笑ってくれているなら・・・これでもいいのかもしれない。
そう思えてきた。
未来が笑えるのなら・・・少しくらいは我慢してもいい気がした。
『借りているだけ』
和希さんのその言葉を信じてみてもいいんじゃないか?
たとえ俺の体に乗り移られたとしても、一時的なものなら・・・
それで、未来が安心するなら・・・いいと思えてきた。
なあ、和希さん。
貸すだけだよな?
あとで返してくれるよな?
それなら・・・ちょっとだけなら・・・いいよ。
それで未来が笑ってくれるんなら・・・



【続】
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◆◆◆◆◆◆◆◆一言◆◆◆◆◆◆◆◆

予想よりもちょっと長くなったので
いったん区切りますです。
しかし、こんなに悠長なことを言っていると
本気で兄に体をのっとられるぞー堂本!(笑)
彼の健闘を祈ります(無責任作者/逃






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